フレディ・マーキュリー映画で復活足切断の晩年写真メアリーと共に

芸能

クイーンの伝説を映像化した『ボヘミアンラプソディー』が大ヒットをし、再び注目を浴びているフレディ・マーキュリー

その人生はドラマティックで孤独に満ちています。

晩年エイズに侵され、足を切断したと言う噂や、いまだにどこに埋葬されたか不明というミステリアスな事実もあります。

最後まで彼を見守った、元婚約者のメアリー・オースティンとの特別な関係を調べてみました。

 

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フレディ・マーキュリー映画で復活

東アフリカのザンジバルで生まれたフレディ・マーキュリー(本名:ファルーク・バルサラ)。

持って生まれた彼の才能は、そのみなぎる活力や華麗さに決して引けを取りませんでした。

それらは全てクイーンの楽曲制作に注がれ、素晴らしいライブ・パフォーマンスで観ることができます。

生前、フレディ・マーキュリーの持つ4オクターブの声域は、科学者たちもその複雑さや素晴らしさの秘密を明かそうと研究したほどで、通常のロックシンガーが出せる限界を超えていました。

フレディ・マーキュリーの死後は、その声はAIDSに苦しむ多くの人々の支えとなりました。

フレディ・マーキュリーは1987年春にAIDSと診断され、その後徐々に周囲の人たちへ自分の病状について明かし始めました。

「彼は打ち合わせのために自宅へ僕らを集め、真実を明かした。

とにかく僕らは、その事実を受け入れ始めなければならなかった。」

とクイーンのドラム、ロジャー・テイラーは、ドキュメンタリー『Freddie Mercury: The Untold Story』の中で語っています。

弱ってやせ細っていくフレディ・マーキュリーの姿に、不滅に見えたバンドの主人公が重病にかかっているのではないかというメディアの推測が騒ぎ立てました。

しかしバンドは全員一致して、いかなる問題もないと強く否定しました。

「僕らは全てを秘密にした。

嘘をついていたんだ。

とにかく彼を守りたかった」

とギターのブライアン・メイは、ドキュメンタリー『輝ける日々』の中で語っていました。

フレディ・マーキュリー足切断の晩年

そして、その後、フレディ・マーキュリーが足を切断したのではという噂が広がりました。

噂のでどころになったのは、ブライアン・メイ のインタビューでの証言です。

2011年にBBC(英国放送協会)にクイーンのドキュメンタリー『輝ける日々』が放送されました。

そのときに、ギタリストのブライアン・メイ がフレディの足の切断に関して言及していました。

「問題は足だったんだよ。

とても悲しいことにね。

フレディ・マーキュリーの足はほとんど残っていなかったんだ。」

このような発言していることから、エイズが原因でも足を切断するところまで症状が広がっていた可能性があるようです。

ブライアン・メイがフレディ・マーキュリーの深刻な状態について知ることになったときの状況については次のように話しています。

フレディ・マーキュリーとブライアン・メイはある晩に一緒に出かけることがあったそうです。

そのときに、ブライアン・メイはフレディ・マーキュリーの足の深刻な状態について気がついたそうです。

そしてフレディ・マーキュリーはその視線に気がついて

「ブライアン、僕の足の症状が今どんな状態なのかみてみるかい?」

といって足を見せてくれたそうです。

ブライアンはあまりにも深刻な状態の症状をみて絶句してしまったそうです。

そのショックを受けたブライアンの姿をみて、フレディ・マーキュリーは

「ブライアン、ごめんね。

そんなに動揺させるつもりじゃなかったんだ」

といったそうです。

そしてブライアン・メイは次のようにいったそうです。

「僕は動揺はしていないよ、フレディ。

君がこの全てのつらい痛みについて僕らにずっと言わずにいたことに気づいたこと以外はね。」

ブライアン・メイとしては、フレディ・マーキュリーにとってクイーンが家族のような存在であってほしかったかったのではないでしょう。

1990年の年末までにバンドはアルバム『イニュエンドウ』を完成させました。

同アルバムには、哀愁漂うバラード『輝ける日々』も収録されています。

彼の健康状態に対する不安は、1991年5月30日に撮影された同曲のミュージック・ビデオで急激に高まりました。

モノクロで撮影したものの、AIDSによって蝕まれるフレディ・マーキュリーの身体の状態をごまかすことはできませんでした。

Queen – These Are The Days Of Our Lives (Official Video)

 

「彼は何時間もかけてメイクし、気持ちを落ち着けて順調であるように見せていた。

彼はこのビデオを通じてサヨナラを言っているんだ」

とブライアン・メイは、2011年にインディペンデント紙に語っています。

フレディ・マーキュリーの可愛がった猫たちを描いた特注のベストを着た最後のシーンで彼は、カメラに向かって微笑み、「I still love you」とささやいています。

これがカメラの前で発した彼の最期の言葉になりました。

撮影の数週間前、フレディ・マーキュリーはスイスのモントルーに滞在し、弱っていく身体の状態が許す限りレコーディングを続けていたそうです。

ブライアン・メイによると、レコーディングはマーキュリーに正常な感覚を保たせていたといいます。

「この時フレディは言ったんだ。

“曲を書いてくれ。

もう長くないことはわかっている。

歌詞を書き続けてくれ。どんどん俺にやらせてくれ…俺は歌うから。

君らが後で好きなようにして完成させてくれ”ってね」

とブライアン・メイは、ドキュメンタリー『輝ける日々』で証言しています。

プロデューサーのデイヴ・リチャーズは、セッションを急ぐ必要性を感じていました。

楽器類を調整するのに何時間もかける時代は過去の話です。

「曲を作りながらも彼は死に近づいていった。

レコーディングを終えたら死ぬだろう、と彼は自覚していた。

彼は、

“俺は今すぐ歌うよ。

彼らの演奏を待っている時間はない。

ドラム・マシンだけ鳴らしてくれ。

後から彼らが仕上げてくれるから”

と言った」

ブライアン・メイの書いたスローに盛り上がる壮大な楽曲『マザー・ラヴ』にフレディ・マーキュリーは、いつもの調子で取り組んでいたそうです。

「どこからあのエネルギーが出てきたのだろうか」

と後にブライアン・メイは語っています。

「恐らくウォッカがエネルギー源だったろう。

彼は乗っていた。

少しウォーミングアップして、

“一杯くれ”と言って飲み干していた。

いつも銘柄はストリチナヤだった。

それから“テープを回してくれ”と言って始めるんだ」

長時間立っていられず、歩くにも杖が必要だったフレディ・マーキュリーは、『マザー・ラヴ』のヴォーカルをコントロール・ルームでレコーディングしました。

終盤までレコーディングしたところで彼が、

“あまり良い調子じゃない。今日はここまでにした方がいい。次に戻ったら仕上げるよ”

と言ったんだ。

でもその後彼がスタジオへ戻ることはなかった」

結局ブライアン・メイが最後の部分を歌い、曲を仕上げています。

 

フレディ・マーキュリー写真メアリーと共に

フレディ・マーキュリーはその後ガーデン・ロッジへ帰り、パートナーのジム・ハットンとメアリー・オースティンが彼の世話をしました。

メアリー・オースティンはフレディ・マーキュリーの元恋人で、1970年に初めて出会い、7年間一緒に同棲しました。

もう同居はいませんでしたが、生活は共にしていたそうです。

インタビューで彼はいつでも、彼女のことを真の友人と表現していました。

ジャーナリストのデヴィッド・ウィッグとのインタビューで遺言の話題になった時、

「全てをメアリーと猫たちに遺す」

と語っていました。

クイーンの繊細な名曲『ラヴ・オブ・マイ・ライフ』は、メアリー・オースティンに捧げた曲でした。

Mary Austin (and David Wigg) about her relationship with Freddie

メアリー・オースティンは、ソウルメイトの命の火が徐々に小さくなっていくのを見ていました。

「彼は自分のタイムリミットを決めていた。

レコーディングが続けられなくなった時や、続ける気力のなくなった時、終わりが来ると思ったわ」

と彼女はドキュメンタリー『The Great Pretender』で語っています。

「彼の人生も彼の喜びも、その通りだったから。

そうでなければ彼は、自分のすべきことに向き合えるだけの力が出なかったはずだと思う」

避けられない死を前にしてフレディ・マーキュリーは、準備を始めていたようです。

「日曜のランチの後に突然、

“僕を葬って欲しい場所は決めている。でも誰にも知らせないで欲しい。掘り返されるのは嫌だ。ただ安らかに眠りたいんだ”

って言われたの」

1991年11月24日、フレディ・マーキュリーはAIDSが原因の気管支肺炎によりこの世を去りました。

彼の亡骸は、ロンドン西部にあるケンサル・グリーン墓地で火葬されました。

遺灰は壺に入れられメアリー・オースティンの寝室に2年間置かれていましたが、その後彼女は密かに彼の希望した場所へと移したとされています。

「普段通りでないことをしようとしていると他人に悟られたくなかった。

だから“美顔エステに行ってくる”と言って出かけたの。

説得力のある理由が必要だった。

タイミングを計るのが難しかったわ」

と彼女は、2013年にデイリー・メール紙に語っています。

「壺を持ってこっそりと家を抜け出した。

スタッフに悟られないように、いつも通りに振る舞う必要があったの。

スタッフはゴシップ好きで、喋らずにはいられないし。

彼の遺志の通り、誰にも埋葬場所が知られることはないわ」

フレディ・マーキュリーの両親にも場所は秘密にされているようですが、墓参りをしたいと思うファンは、場所を突き止めようとしてきたようです。

フレディ・マーキュリーの出身地であるザンジバルだという者もいれば、自宅の庭に生える桜の木の下だと信じている者もいます。

そんな中、2013年に謎は解けたと思われました。

フレディ・マーキュリーの出生時の名前(Farrokh Bulsara)と日付(5 Sept. 1946 – 24 Nov. 1991)の刻まれた墓石が、ケンサル・グリーン墓地で見つかったのです。

“Pour Etre Toujours Pres De Toi Avec Tout Mon Amour – M.”

とフランス語で書かれたメッセージの最後の“M”は、メアリー・オースティンを指すに違いない、と多くの人が推測しました。

メアリー・オースティン自身は、

「フレディは絶対にその墓地にはいない」と否定しているそうです。

その後、銘板は取り外されて、今なお、彼の埋葬地は不明のままになっています。

 

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