コラムニストの勝谷誠彦さんが11月28日未明、亡くなりました。
享年57歳でした。
関係者が明らかにしました。
勝谷さんは8月22日に腹痛を訴えて緊急入院しました。
2007年1月から毎朝続けてきた有料配信メール日記を初めて休載し(配信は代筆で継続)、劇症肝炎の療養に入っていました。
その後、一時退院しましたが、10月下旬から再度、療養生活に入っていたそうです。
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訃報勝谷誠彦さんその功績
勝谷誠彦さんは1960年、兵庫県生まれです。
早稲田大学在学中からフリーライターとして活動し、編集プロダクションを設立しました。
1985年に大学卒業後、新卒入社した電通を数か月で辞め、文藝春秋に転職しました。
花田紀凱さんが当時編集長だった「週刊文春」の記者として活躍しました。
文春時代は、フィリピンのマルコス政権を民衆が倒したエドゥサ革命(1986年)や、三井物産マニラ支店長誘拐事件(同)、湾岸戦争(91年)など海外の歴史的事件を相次いで取材しました。
また、在籍当時の週刊文春は、1989年の東京・足立の女子高生コンクリート詰め殺人事件で、犯行に関わった少年グループの実名報道に踏み切ったことが社会的論争を呼びました。
その後、異動先の月刊誌「マルコポーロ」の廃刊を機に文春を退社し、フリーランスのコラムニストとして雑誌、テレビ、ラジオなどで活躍していました。
その歯に衣を着せぬ発言で有名です。
2000年の長野県知事選で田中康夫さんを支援した頃から政界との関わりが増え、安倍晋三首相、辻元清美衆議院議員など党派を越えて交流関係がありました。
2017年には兵庫県知事選に出馬し、次点で落選しています。
58歳の誕生日まで8日という早すぎる死でした。
一時は病状も良くなり活動も再開していて、流石だという声も聞かれていたのですが…しかし、それもまた勝谷誠彦さんらしいかもしれません。
世の中に問題提起をして、人々が考え、それに気づくきっかけを与えてこられたのでしょう。
勝谷誠彦さん、享年57。
大変残念です…。
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